3月末、幼い頃から、私を娘のように可愛がってくれていた叔母(母の姉)が逝去しました。享年78歳。
亡くなる1週間前に帰省していた私は、その街で入院していた叔母に会いに行こうかと迷ったのですが、時間に余裕がなかったので、次回の帰省の時にと、会わずに帰って来ていました。訃報が届いた時には、「やっぱり時間を作って会いに行けば良かった・・・」と悲しみと後悔で、心が苦しかったです。
お通夜、告別式には、家族に留守を頼み、私一人で帰省してきました。
お通夜のお坊さんの話の中で、書家のあいだみつをさんの詩『そのうち』が読み上げられました。
詩の中には、「そのうち、そのうち、そのうちと できない理由をくりかえしているうちに 結局は何もやらなかった」
というフレーズがあります。
熱心な檀家だった叔母とお坊さんは、ある約束をしていたらしいのですが、そのうちにと先延ばしにしていたそうです。「約束を果たせず、申し訳なかった」と、詩の紹介の後、お坊さんは、後悔している胸の内を話してくれました。
私は、会えなかった自分の後悔する気持ちと重なり、涙が止まりませんでした。
叔母の死に直面したことで、死について考える機会にもなり、ひすいこたろうさんの『あした死ぬかもよ?』(ディスカバー トゥエンティワン)を買って読みました。ドキッとする書名ですが、本を読むことで、一日一日がいかに大切かを改めて感じ、特に親と過ごす時間について考えさせられました。
本には、参考文献『親が死ぬまでにしたい55のこと』(泰文堂)から、離れて暮らしている親と、あとどのくらい一緒にいられるかという時間の計算式が掲載され、
親が後20年生きると仮定し、お正月とお盆に会う日数を6日とすると、
親の残された寿命(20年)×1年に会う日数(6日)×一日に一緒にいる時間(11時間)=1320時間。
これを日数にすると、わずか55日、
と書かれていました。
つまり、2ヶ月弱しかないということになります。
こういう風に数字でみると、そのあまりの少なさに驚いてしまいました。
叔母の繰り上げ法要の後、帰りの列車まで時間があったので、施設に入っている母に会いに行きましたが、残念ながら、入浴中で会うことができませんでした。ですから、GW後半には子どもたちを連れて、母を見舞い、また一人で暮らしている父とも、いろんな話をして来ようと思います。
父と母がいなければ、私という存在はなかったのですから、照れくさくて言葉にはできなくても、一緒に時間を過ごすことで感謝の気持ちを伝えることができればと思っています。
高校生の娘が、春休みにお友達と2人で東北旅行をしてきました。写真は松島です。