すっかりと秋の気配が漂うこの頃。例年よりも早く、あっという間に夏が過ぎてしまったように感じています。
今年の夏、みなさんはいかがお過ごしでしたか?
我が家は、今春から京都で暮らしている娘が帰省し、久しぶりに家族5人が揃いました。
洗濯や食事作りは大忙しでしたが、やっぱり家族が揃うのは良いなあ♡としみじみと感じた私です。
希望する大学に入り、一人暮らし(といっても学生会館なので、同じような仲間に囲まれていますが)を始めた娘は「全然寂しくないんだよねえ」と、家を出てから4ヶ月の間、必要最低限の連絡(電話は一度もなくメールが数回程度だけ)しかよこしませんでした。私はあまりの素っ気なさに「少しくらい寂しがってくれても良いのに」と、娘に会うまでは不満げな気持ちでいました。でも、家に戻ってきた娘は、何度も「やっぱり家は良いわあ」と嬉しそうに口にしていたので、母である私は一安心!
そして、帰省して2日後の夜には、「ずっと泣きたかったけれど、泣けなかったの」と急に泣き出した時にはびっくり。(今までも、特に理由がなくても、時々泣いて感情を洗い流す子でしたが。)
泣きたいのに泣けなったのは、彼女なりに新しい生活になじもうと、頑張って、頑張って力が入っていたからなんだろうなあと、娘の姿を見て、なんとも愛おしい気持ちになりました。そして、心の中で謝りました。「連絡をよこさない、冷たい娘だと思い違いしていてごめんね」と。
そういう私も、娘のいない深い悲しみに気がついていませんでした。というか、今振り返ると娘のいない穴が大きすぎて、穴が空いていること自体が分かっていなかったんだと思います。
6月中旬に体調を崩してしまったのは、掛け持ちした仕事の忙しさと更年期の不安定さが大きかったと思いますが、娘が家からいなくなってしまった喪失感もかなり関係していたのかもしれません。
あるドラマで
「⚪︎⚪︎は、私の娘であり、親友でもあり、私の分身なの」というセリフを聞いた時、親友までは分かるけれど、分身というのは問題あるんじゃない?と違和感を覚えた私でした。でも、今なら、そのセリフの意味が痛いほど分かります。ほんと、近くにいないと、辛くてしんどいなあ!と。
京都に戻る前の晩、夫と私の会話を聞きながら、「もう、しばらく、この会話が聞けないんだねえ、寂しいねえ」と言った娘。
私は冗談交じりに「それなら(帰れないように)首に縄をつけちゃおうかなあ」と笑って返しました。内心はかなり本気でしたが!
でも、娘は予定通り、帰って行きました。空港行きのバス乗り場まで送り「バスに乗っていく姿を見送ると寂しくなるから、このまま帰るね、元気でね」と声をかけたら、「お母さんこそ元気でね」(体調を崩して仕事を辞めたことは話したので)と優しく気遣う表情で言ってくれた娘。うーん、今、思い出しても泣けてくるー。ウルウル。
こうやって、再会を喜んだ後に、また別れ、それを繰り返しながら、親離れ、子離れが進んでいくのかもしれませんね。
なんだか、私には相当時間がかかりそうですが、寂しい思いを受け止めながら、今できる楽しいことを考えて過ごしていけたら良いなあと思っています。でも、やっぱり、娘との時間、楽しかったなあ…。
過ごしやすい気候になったので、時間を見つけては、近くの山林で森林浴を兼ねてお散歩を楽しんでいます。