前回お伝えした親子ワークに、ご夫婦とお子さんの3人で参加されたご家族が一組いらっしゃいました。
お母さんの強い勧めを、断りきれずに参加したと言うお父さんでしたが、楽しい発言で周りを明るくしてくれました。
隣の人をほめ合うワークの場面では、奥さんは一緒にワークに参加してくれたご主人をほめ、ご主人は毎日家事をこなしている奥さんをほめていました。そんな様子を間に座っていたお子さんは、ウキウキした表情で眺め、「面白いことになってきた!」とワクワクした声で発言していました。
きっといつも楽しいご家族なんだろうなあと、私はその様子を眺めていましたが、普段はなかなかしない(と思われる)夫婦でほめ合った後、ご家庭に帰ってからは、いつも以上に会話に花が咲いたのではないでしょうか?
私はこのご夫婦の様子を見て、一緒にインストラクター養成講座を受けた方を思い出しました。
その方は60代の女性で、
「同居の義父母の介護など家庭内でいろいろな問題があり、その対応などでご主人に対する不満も大きくなり、一時は離婚も考えた。それが、自分が『自分ほめ』を実践することで、次第にご主人の良さに気が付くようになり、関係性も変化した。
今ではご主人の方から、奥さんにハグしてもらうために、寝る前には必ず奥さんの近くに来るようになった」
と言う話です。
思わず顔が赤くなってしまうような日常を、その方は照れもせずに、堂々と話していたことが、私の中では印象深く記憶に残っています。
子どもをほめるのは、それなりにできるものですが、夫をほめるのはかなりハードルが高いような気がします。ほめの効果を体感し、その素晴らしさを皆さんに伝えている私ですが、夫に「君は僕の事をなかなかほめてくれないねえ」と言われたことがあります(苦笑)。まだまだ、修行が足りないことを実感させられた一言でした。
人生80年(実際は100年かも?)と言われている長寿社会の今、これからの長い人生を過ごすパートナーとは、良好な関係でいられる方が、お互い幸せなはずです。
普段は照れて言えないことも、ワークの場面でなら、言い合えるかも?
そんな期待を持って、夫婦ワークの開催も考えています。
エントリーしたい方は、是非、お知らせ下さい。4組の方が集まれば、すぐにでも開催したいと思っています。
この花の名前はチョコレートコスモス、美味しそうなネーミングですよね。
虐待された子が親になったら虐待する割合が高いと聞きます。
人間というのは複雑であり、単純。
たくさん、ほめられる環境にいたら、
たくさん、ほめるようになるのかな。
そんなに能力がなくても、
優秀じゃなくても、
たいしたことがなくても、
関係ないんですよね、きっと。
その人が1mmでも成長する何かがあれば、
それは尊いわけで。
成長しなくたって、存在だけで尊い「何か」があるわけで。
それを言葉にすると「ほめる」ということになるのでしょうか。
「ほめる言葉」は素直な感動であり、
「+」のエネルギーを作る「種」になる。
そう思います。
トレーニングは日々の生活の中にあります。
照れくさいけれど、言葉にする。
それはピアノの練習と同じ。
「そうありたい」という自分に近づくプロセスだと思います。
ワークは「そうありたい」自分に気付くプロセスでもあるでしょうか。
私の仕事で一緒の超ベテランの演奏家に対して、リハーサル後に
「やっぱり、うまいな~~~」とおっしゃった方がいます。
プロに「うまい」はなかなか言わないし、そういうコメントは聞きません。
その演奏家の方は、そのコメントを聞いて、
「おかしいけど・・・嬉しいね。」
と、おっしゃっていました。
どんなにその道で極めても、
「ほめの言葉」は嬉しいものなんですね。
yukaさん、素晴らしいコメントありがとうございます。
私もこの世でたった一つしかない自分の命、存在そのものが尊いのだと思っています。
そして、ほめることで自分の中にある、素敵なものがどんどん引き出されてくると信じています。
自分自身が自分をほめ、そして、周りの人の良さをほめることで、どんなに毎日がきらきらと輝き、楽しくなって行くことでしょう!
そんな社会になることを目指して、日々、地道な活動を続けて行きたいなあと思います。