母の入院で学んだこと

食事がほとんど食べられず、水分も飲めない状況で、体重が30kg台までやせ細り、入院した私の母親。
入院後もなかなか食欲が戻らず、一時は「このままだと、どうなってしまうの?」と心配しましたが、その後、徐々に回復し、先月末に無事退院。特別養護老人ホームに戻ることができました。

母が回復できたのは、母自身の生命力もあるとは思いますが、「元気になって欲しい」という家族の想いや、事情を知った多くの方が回復を祈って下さったことも大きいのではないかと感じています。ありがとうございました♡

今回の入院中、母の今後を巡る話し合いの中で、大切な気づきを得ることができました。
それは、自分自身がどうやって最期を迎えたいかを考え、家族に伝えておくことの大切さです。

入院後、病状の回復の兆しが見えなかった時、今後の医療処置をどうしていくか?つまり、延命治療をどこまでするのか?という決断を、私たち3人(父親、私、弟)は医師から求められました。

元来、健康で、出産したとき以外は病院にかかったことのなかった母は、17年前に脳動脈瘤が見つかり、緊急手術を受けました。当時は元気一杯の56歳だったので、それまで、老後のこと、そして”どんな最期を迎えたいのか”という話などしたことはありませんでした。
脳動脈瘤の手術は成功しましたが、その後、加速度的に脳の老化が進み、認知症になった母に、今後の治療について判断を求めることはできません。3人で、母の意志を想像しながら、決めていくしかない状況でした。

『母の命が私たちの決断にかかっている』
あまりにも重大なことで、父と弟と私の3人は、何度も何度も話し合いを重ねました。
どんな決断が正しいのか?なかなか答えが見いだせず、私は病床の母に抱きついて、「お母さんはどうしたいの?教えて」と泣きながら聞いてみたこともありました。(母は小さな声で、「お父さんに聞いてごらん、お父さんが知っているよ」と答えてくれましたが)

結局、母は延命治療が必要になる前に回復したので、最終決断は求められませんでした。しかし「自分はどんな最期を迎えたいか」を考えておき、家族に伝えておくことの必要性を痛感しました。

私たちが話し合いを重ねていた頃、日本尊厳死協会の講演会が開かれたことが、新聞の記事に掲載されていました。

記事には、講演で「現代は医薬の向上で延命期間は延びたものの、生活機能を大幅に失ったまま人生の終盤を過ごす人が多いこと」「自らが健康なうちにどんな最期を迎えたいのかを考え、医師や家族に伝えておくことが必要」「不治の状態になった時に延命治療を希望しないことなどを事前に記しておく『リビングウィル(尊厳死の宣言書)』の作成の勧め」が話されたと書かれていました。
渦中にある、私にとっては、まさにグッドタイミングの記事でした。

自分がいつ、どこでどうなるのかは、誰も予測できないことだと思います。
その時に、自分らしい生き方(死に方)をするためにも、そして、家族に決断の負担をかけないためにも、一度は家族で話し合うことは必要なのではないでしょうか?

私も早速実行。夫と3人の子ども達に「お母さん(私)は、延命処置はせず、穏やかに最期の時を迎えたいからよろしくね」と伝えました。高3の娘はちょっと分かってくれたかな?中2の双子の息子たちは、分かったようないないような?という反応でしたが、取りあえず、今時点での私の意志は伝えられたかなと思っています。

私たちの結婚記念日はF1ドライバーだったアイルトン•セナの命日(5月1日)!今年は20周年でした。その日の朝、中2の双子からおめでとうのお花!嬉しいサプライズでした。(残念ながら娘からは何もありませんでしたが‥‥)
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