親として

立春を過ぎ、暦の上では春ですが、窓の外を見るとまだまだ冬景色。皆さん、今年の冬をいかがお過ごしですか?
我が家は中3の双子が、志望校の受験に向けてラストスパート。家の中はなんとなく緊張感が漂い、私は、子供たち同様(もしかすると子供以上に)落ち着かない毎日です。

そんな中、以前読んだ本に、「親の一番重要な役割は見守ること」と書いてあったことを思い出し、その箇所をもう一度読み直してみました。

「あなたのお子さんがヨチヨチ歩きをしているとき、その前に積み木が転がっていたらどうしますか?」という質問をすると
多くの親は「もちろん、積み木をすぐにどけますけど」と答える。
一方、「放っておいて、それをよけるのか、どうするのかと見ています」と答える親もいる。
つまづいて転ぶかもしれないけれど、転ぶことによって子供が何かを経験し、学べることから次からは気をつけるかもしれない。転んでも立ち上がる力を持っているだろうと信じて見守るというやり方もある。
目の前を積み木を取り除いてあげると、そのときは子供のために「してあげた」と義務を果たした思いで満たされるけれど、子供は学びのチャンスを逃してしまう。

と、そんな風に書かれていました。
そこまで読み進めて、私の胸はズキンと痛みました。
「もしかすると、私は何度も子供たちが学ぶチャンスを奪ってしまっていたのではないか」と。

私は慎重派で失敗するのが怖く、できるだけ失敗しないように、安全な道を選んで生きてきました。
親になってからは、子供が失敗して悲しむ姿を見るのが辛い、傷つかないように守ってあげるのが親の役割だと思い込み、先回りして口や手を出しすぎていたように思います。

そう言えば、よく夫に「自分で痛い思いをしないと分からないんだから、ほっとけばいいんだー」と言われたことがありました。
その時は、なんて冷たい人なんだろう!と思っていましたが、今思うと、夫の意見は正しかったんですね。

この本(『誰とも争わない生き方』秋山佳胤著 PHP研究所)の中で著者は、「失敗も成功も全て体験であり、据える視点によっては、どれも成功と言えるかもしれない」とも書いています。

どんな体験も意味あることだと思えれば、これから先、子供たちのことを少し距離をおいて見守っていられるかもしれないと、私は、ようやく親としての立ち位置が分かった気がしました。

双子たちの進路がどうなるのか?2人とも希望が叶うのか、そうならないのかはまだ分かりません。
でも、どんな結果であっても、それに巻き込まれてジタバタすることなく、木の上から見守っている、文字通りの親でありたいと思っています。
うーん、できるかな?簡単ではないでしょうけれど、私なりにやってみます。
「きょうちゃんならできるよ!」と自分を励ましながら←ここがポイントです(笑)

福よこいこい!2月22日(にゃん、にゃん、にゃん)は猫の日だってご存知でしたか?私は今年初めて知りました。
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